ズートピアという「弱者のためのディストピア/弱者のためのユートピア」

ズートピアを見てきた

ネタバレしかないので折りたたみます。

 

「弱者の物語」としてのディストピア/ユートピアがそこにあった

なぜ弱者なのか、という点は自分の目で確かめてほしいので、ここではくだくだしく述べるのは避ける
気になったのはジュディとニックの「姓」だ。ラストネーム、ファミリーネームという方が通りがいいかもしれない。

まずジュディの姓。ホップス(Hopps)だ。
うさぎのキャラクターであるがゆえに「ぴょんぴょん(Hop)」に引っ掛けたネーミングなのだろうが、ホップスという姓は元をたどれば「ホッブズ(Hobbes)」に行きつくとされている*1(「リヴァイアサン」で有名なトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)のホッブズだ。 )

更に辿るならば「ロバートの(Roberts)」姓からの転訛とされている姓、おそらくはロバーツ(Roberts)→ロブズ(Robs)→ホブズ(Hobs)のように変遷したのであろう。

つまりはどういうことか?
平たく言えば「アメリカという国においては『ピルグリムの子』である」ということが示唆されている。 もしくは「イングランド系移民の子であり、まあまあのお家の出」ということであろうか。

アメリカという国は移民の国である。ゆえに初期のイングランドからの入植者としての『ピルグリムの子』はある種のステータスとなりうる。
WASP」という言葉の示すものが一番端的だろう。White(白人)、Anglo-Saxon(アングロサクソン)、Protestant(プロテスタント)の略で、その言葉の示すところは「毛並みのいいおうち」である。
つまりは、それなりに「いいところの家系/もしくは中流以上の家系」であることがジュディには属性として付与されている。
しかしジュディは人参を育て、道端で売るような貧乏白人としてのキャラクター性が付与されてしまっている。レッドネック(Redneck)と呼ばれる「貧乏白人」としてのキャラクターとなっているのだ。アメリカ南部の貧乏白人としてのキャラクター性と言ってしまってもいいだろう。そう考えるとジュディの両親のアンチ・キツネの姿勢はバイブルベルト(アメリカ南部のキリスト教色の強い地域。テキサスやテネシーカンザスなどが該当する)の「反知性的・過度に保守的な両親」というものをカリカチュアしたものと考える事もできる。
ジュディは「兄弟ばかり多く、農業ぐらいしかできない」ような家というある種の十字架を背負っていることが姓だけで示唆されていることになる。

これはニックですら例外ではない。ワイルド(Wilde)姓の示すメッセージは更に強烈だ。
オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)と同じワイルド姓はアイルランド移民であることを示すことが多い(ドイツ系やユダヤ系である場合もある)*2

アイルランド系アメリカ人(アイリッシュアメリカン)は、黒人ほどではないものの差別されてきた過去がある。
アイルランドじゃがいも飢饉と呼ばれる未曾有の飢饉から逃れ、アメリカという新世界を求めた人間がペンシルヴェニア・ヴァージニア・サウスカロライナなどの比較的辺境に入植することとなった。これはかなり後発の入植だったため辺境の土地しかなかったという部分が大きい。
アイリッシュアメリカンの人間は軍人・消防士などの命の危険を伴う仕事に就くことが多かったとされている。これは前述の「後発の移民」という理由によるものが大きいとされている。

また、マフィアになるアイリッシュアメリカンも多かったとされる。
それに輪をかけてニックは「アカギツネ」として描かれている。いわゆる「赤毛」だ。
「赤毛(Ginger)」も差別的属性としては大きな部分を占める。「遺伝的に弱い」とされ、差別されてきた過去がある(皮膚が青白くなりやすくシミやそばかすができやすい、というハンディがないことはないが、体質の弱さとは関係ない)
なお、赤毛はアイルランド系に多いため、仮にニックがアイルランド系移民の子という場合、その設定を補強しうるものと考える。赤色の髪はアイルランドスコットランドに多い髪色だとされている。


他のキャラクターも世間一般には排斥されかねない属性を抱えている。
わかりやすいところではジュディの隣人だろう。キャラクターとしての名前さえ出ていないが、安アパートのけして広くない部屋に男性二人で入居している。邪推であることを視野に入れても「男性同性愛者」であることは想像の端に上るだろう。

ついでZPDの受付、ベンジャミン・クロウハウザー。彼もまたわかりやすい。「肥満者」である。
肥満であることがネガティヴに捉えられる社会であることの示唆はないものの、ガゼルとのダンスアプリに自分の顔を投影し自虐してみせるシーンは、ズートピアという街でも「肥満」がさほどポジティヴなものではないのは間違いのないところだろう。

そのガゼルもなかなかに強烈な毒をまとわせられている。はっきりとした示唆こそないものの、ほぼ確実に彼(あえてこう呼ぶ)はトランスジェンダートランスセクシュアル、またはトランスヴェスタイトなどと呼ばれる「性自認が他者認識と異なる人間」であろうことは想像に難くない。
なぜか? 彼はキャラクターとしてはトムソンガゼルに属する。メスなのだとしたら、あまりに彼の角は長すぎる。どう見てもオスの角の形をしているがゆえだ。劇中後半でガゼルが中立の立場を貫いたことと強く関係しているだろうことはさほど無理筋でもないだろう(ただし、この説はあくまで私の想像にすぎない。ガゼルがトムソンガゼルであるという確定的な話は出ていないので、邪推を多分に含むことを断っておく)


さらにボゴ署長もその毒の餌食とならざるをえなかった。ガゼルファンであることはおそらく誰にも言わず隠し通していたのだろう(ちょっとした事故でクロウハウザーにバレてしまうが)。コワモテの署長キャラを通すことと、アイドルファンであることを隠し通すことはそれなりに矛盾がつきまとう(ように考えてしまう)のは全くもって自然なように思える。
それなりの年齢であり、社会的地位も高く、さらにはいわゆる「ジョック」としての最上位のような立ち位置にあって「ナード」の文化であろうアイドルファンをする、という「ペルソナの付け替え」をいかに隠し通すか、の一点でもってボゴ署長が腐心している姿はさほど不自然ではないはずだ。

 

おそらくはジュディをいじめていたギデオン・グレイもその毒をさらりとではあるがまとわされている。

ギデオンの持つ被排斥性は「パティシエ」であろう。ただでさえ少女(=ジュディ)をいじめるようなキャラ付けをされていたキャラクターなのだから、いわゆる「ジョック」の属性を持っている(単なる不良/ギャングスタであった可能性も否定はできないが、ジョックであるとして話を進める)。

どういった経緯で菓子職人という職に惹かれたのかは語られることがなかったが、彼が田舎の街の人間であり、ジェンダー/人種的に縛られがちな場所の住まいであったことから「女性でありウサギであるが警察官になりたい」ジュディとは逆に「男性でありキツネである」ギデオンが菓子職人になるという決意があまり諸手を上げて歓迎されるような事態でなかったのは無理な想像でもないのではないだろうか。

 

ズートピアという作品が傑作だと言ってしかるべき点は、過去の自社作品をやわらかな形で否定し、換骨奪胎してみせたところだ。
「南部の唄」というディズニーの発禁作品(TDLの「スプラッシュ・マウンテン」や「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」などの歌の原典である)は「ブレア・ラビット」が「ブレア・フォックス」を知恵でやり込める、という作品だが、劇中のキャラクターの描き方が「この時代の黒人はこのような良い扱いを受けていなかった(=もっと悲惨な扱いを受けていたのだから、歴史の隠蔽はやめるべき)」という意見によって現在レーザーディスクを含むあらゆるメディアで公式に手に入れることはできない。
ズートピアはこの南部の唄問題の「間抜けなうさぎ」と「ずるいキツネ」というステレオタイプを、ジュディとニックの口を借りて「ずるいうさぎ」「間抜けなキツネ」と否定したのだ。
とりもなおさず、それは過去の「白人至上主義」へのやわらかな、だが確実な否定の言葉だ。

更に言うならば、WASPアイリッシュラティーノ・ジューイッシュなど白人の中でも存在している「白人同士の人種差別」をも批判してみせた。
その描き方だけでもって私は「ズートピア」という作品を傑作だと言い切り「弱者のためのユートピア作品であり、同時にディストピア作品であると断じる。

 

 

この文章は、自分のTwitterアカウントと紐付けられたふせったー上で発表した文を加筆修正したものである。

あくまで私の独断と偏見による推察・考察であり、強く邪推を含む部分も多々あることをお許し願いたい。